2011年8月11日木曜日

陸前高田 その11

佐藤さん!いつまでもお元気で!そしてがんばって復興していきましょう!

陸前高田 その10

佐藤さんは仰いました。
「いろんな方が私に津波がきた瞬間のことをお尋ねになります。でも私が覚えているのは本当にわずかなことだけです。大地震がきて、これはまずい、はやくあの集落にいる年寄りを助けなければってことです。大津波警報が出されて、とにかくこの場所に急いで勤め先からもどってきました。歩けば3歩で疲れてしまう心臓の悪い年寄りを高台に押し上げるように避難をさせて、やっと安全な場所に避難させられたと息をついた瞬間、津波がすべてを押し流していきました。それしか覚えていないんです。でもあとあと考えてみると、私がいまここにいて皆さんにこんなことをお話できるのも、きっと私はあの時、年寄りを助けたから助けられたんじゃないかってことです。つまりはだれかを助ければ、だれかに助けられるっていうことです。皆さんは今日、私たちを助けに来てくれました。だからきっと将来だれかに助けられるはずです。ありがとうございました!」

陸前高田 その9

線路はそこで切り取られていました。津波で完全に流されてしまったとのことでした。陸前高田の綺麗な海岸線を疾走するJR大船渡線の復旧のめどはたっていません。海の向こうの風景は昔と変わらないといいます。いままで何人の人がこの風景を見たことでしょう。また逆に誰がこの山側の風景を予想したでしょう。なんとなくその切り取られた線路のあとにボランティアの人たちが集まってしまいました。

陸前高田 その8

そこに生活がありました。そこに家族がありました。そして命がありました。重機のうなる音しかしないそんな昼下がりでした。ただひたすらに土砂を搔いて出てくるのは食器の数々。そこにはきっと台所があったんだろうな。あったかいご飯があったんだろうな。そして家族の団欒があったんだろうな。粉々になってしまった食器もあれば、まだしっかり形をもったものもあります。立派なTsunami Survivorであり、はたまたVictimなのかもしれません。でも大丈夫、きっとまたみんなで美味しい食卓を囲めるようになります!JR大船渡線が通っていた土手から湾を望みつ、祈りを捧げます。

陸前高田 その7

車が一台山肌に埋まっているように放置されていました。話によると車がここまで流されたということらしいです。この写真を撮ったところから海を見ると、佐藤さんのお宅のはるか向こうに海が見えます、つまりはこの辺りまで水が上がってきたことを意味します。高低差はゆうに20メートルはあるでしょうか?大津波から4ヶ月たった時点の写真になります。すでに盛夏を迎え、蝉時雨も賑やかに夏草もするどくなっていましたが、大津波の爪あとの深さを実感しました。

陸前高田へ その6

この日の作業地はJR大船渡線の沿線の佐藤さんの住宅地。佐藤さんご本人から説明をうけて、ゴミの仕分けの仕方、注意点などを確認します。作業は午前10時から午後2時までで、途中お昼の休憩を1時間ほどとります。大きな瓦礫などは重機ですでに片付けられているので、のこりのゴミの中から、拾得物などを選り分けるのがメインの作業になりました。拾得物は金銭などの貴重品はもちろんですが、とくに写真やネガなどの思い出も重要な拾得物として集めます。佐藤さん地は海岸線から100メートルほどのやや高台にありました。2枚目の写真では左側にその海岸線が見え、右側は丘陵地帯になるのですが、左側(海の方向)に鉄骨が曲がっているのがわかります。これは大津波が佐藤さんの集落を襲ったあと、丘陵地にぶつかって巻波となり丘側から家屋を襲ったのがわかります。

陸前高田へ その5

約20分ほどの間、バスは陸前高田市の沿海部を走りました。「おおきな瓦礫はほとんど撤去されています」とのリーダーの説明でしたが、その光景は想像を絶するものでした。5階だてでも4階までの部屋の窓がパンチアウトされている建物。積み上げられためちゃめちゃになった乗用車やバス。それが沿海部のすべての地域に広がっているのです。「なぜこんな災害を神様は起こしたのだろう・・」そう考えてしまう瞬間でした。



陸前高田へ その4



・・・がガラリと変わります。いきなりそこには強烈な被災地の風景が飛び込んできました。

陸前高田へ その3


ドライブインを出て、途中、陸前高田VCにとまって、リーダーをピックアップしました。プレハブのVCには多くの支援物資が集まっていました。この時点でまだ回りはのどかな山村の風景です。ところが3分もしないうちに風景が・・・

陸前高田へ その2


 バスは2度目の休憩で陸前高田市へと峠を下る途中のドライブインへとまります。ここでリーダーの引率ガイドの方がこの先にある陸前高田ボランティアセンター(陸前高田VC)へとその日の作業内容に関して指示を受けに行きます。その間に最後の御手洗い、水などの必携品の準備を完了させます。このボラバスは水は十分なほど用意してあるとの事でしたが、やはりボランティアの心得として現地で必要なものは事前準備が鉄則とのことでしたので、私も水を2本買い増しました。ここでボランティアの班分けをします。班長一人がリーダーから選ばれ、その下に7人から9人くらいのメンバーが振り分けられます。私たち3人は同じ班になりました。メンバーは岩手県、青森県、横浜市など全国津々浦々から来ているようでした。
 このドライブインの辺りの河川は鮎がたくさんとれるようで、駐車場にはこいのぼりならぬ「あゆのぼり」が空を泳いでいました。

陸前高田へ


 通称、ボラバスという盛岡駅から仕立てられたボランティア派遣用のバスに乗り込み、東日本大震災の被災地へボランティアへと向かいました。ボラバスは地方自治体の主催で運行されているケースが多いようです。朝6時半盛岡駅マリオン集合で陸前高田までは約3時間の行程です。途中、ドライブインで2回ほど休憩をいれますので、それまではバスの中でその日のボランティアの人たちと歓談しながら楽しめます。ちょっとした遠足気分でいけます。でも参加者はけっこうボランティアの兵が多く、「今回で20回目です!」とか「解体のプロです!なんでも聞いてください!」みたいな心強い人も多いです。もちろんわれわれのような「ビギナー」もいます。でもそんなボランティアビギナーでも大丈夫です。みんな親切にいろいろ状況を教えてくれます。言葉の問題は少し心配しましたが、こちらから誠意を持っていけば、ちゃんと通じます!
 途中、遠野のドライブインで休憩をとり、その前にめがね橋という橋がかかっていました。