2011年8月24日水曜日

エピローグ

 いかがでしたでしょうか?今回のツアーは当初、ミシガン州のAquinas Collegeで要望が出され、学生たちがこの震災ボランティアへいくために費用を独自で集め実現したものです。マットとブリはその代表として今回参加しました。二人は日本に興味のある学生ですが、日本にきたのは初めてで、日本語も学校で勉強してはいるもののやはり、会話には不安がありました。しかし今回ひしひしと恵まれていたと感じたのは、二人の日本に対する想い、そして復興させたいという熱意もふくめ、ボランティアの方々をはじめいろんなところで受け入れてくださったところにあります。新幹線で盛岡に向かうとき、東京駅のとある靴屋さんでブリに声をかけてくれた店員さんは岩手県の出身でわれわれが震災ボランティアに行くということを伝えると、目を潤ませてブリとマットの手を固く握ってくれました。
日本は3月11日を境に大きく変わりました。もちろん、すべてを失ったあとの経済的な困難や復興途中の苦労などもあります。しかしそのようなマイナスの面だけでなく、その労苦を共にするための協力心、ひとを助けたいという思いやり、そしてひとつの目標にむかってがんばろうという団結心は被災地のみならず、日本中のいたるところで感じられます。
近鉄では今、Project "Kizuna"として、アメリカ在住の方を対象にした震災ボランティアツアーを10月と11月に企画しました。もちろん英語添乗がつきますので、日本語のできない方も大丈夫です。参加してみたい!トモダチを誘って一緒に震災復興に貢献したいと思う方は是非御問い合わせください。

お問い合わせ:chicago@kintetsu.com まで。
詳細旅程:  www.kintetsu.com/kizuna

大槌町 9


ボランティアの皆さん、一人ひとりに感謝します。この日うれしいニュースもありました。大槌川の河口でサクラマス(やまめの海降型)が確認されたとのことです。海にくだった魚が川にもどってきているという証拠です。ひとりの力は小さく弱いけれど、ひとりひとりの力が集まれば大きなちからになる。私たちはアメリカからやってきましたが、今後も色々な形で支援をしていきたいと思います。大槌川に大量の鮭のもどってくるようにがんばっていきましょう。






大槌町 8

 午後の作業でブリがゴミを突き抜けて伸びている夏草を見つけました。生命力ってのは本当にたくましいものです。

大槌町 7

 お昼は1時間、民家の庭先や縁側を町のみなさんが提供してくれています。思い思いの場所でランチをとります。御弁当は500円だせば事前に用意してくれます。この御弁当も地元の仕出し屋さんからのものですから、震災復興の一環になりますね。最初はおにぎり弁当ってことだったのですが、なんと立派な幕の内弁当でした。超ウマかった!
 マットやブリにいろんな人が話しかけてくれました。言葉の壁を超えて同じ目的でひとつの作業ができるのは二人にとっても貴重な体験だったことは間違いないでしょう。

大槌町 7


 最後はみんなで土手までゴミをラインを作って運び上げます。男、女、男、女のラインをつくり重いものは男性がしっかりと持って渡し、女性にとって重いようなら次の男性がサポートします。見ず知らずだった一人ひとりがひとつのラインになって繋がっていきます。大槌川を綺麗にしたい。鮭の戻る川にしたいというひとつの気持ちで言葉の壁も関係なくつながることができる。なんか暑さも心地よくなるようなあったかさを感じました。

大槌町 6

 本日の大物発見!草むらをかきわけて進むと川のほぼ中腹に「べ~ん」という感じで横たわる四角い物体。水につかった畳です。私がひとりで引きづれるかとおもって引っ張ってみると、全くびくともしません。正直、一瞬目を背けたくなってしまいました。周りの人も私の様子をみて、一瞬沈黙・・・ある人が「これは藁でできているから自然にもどるのでは・・・」確かに30度を超す猛暑の中、こいつを運び出すのは大変です。つい逃げたくなります。しかし鮭のもどる川にしなくてはわれわれが来た理由がありません。鮭が卵を産もうとして、この畳のために産卵床が作れなかったら・・・一人のグループの若者が、「やりましょう!みんなで・・・」その一声で10人ほどのひとが集まってくれました。水につかった畳はおそろしく重く、結局屈強の男6人で土手まで担ぎ上げました。

大槌町 5

 ここが本日の作業場です。Ms Commanderによると津波が来てから約4ヶ月ほとんど手付かずのエリアだそうです。夏草がかなりの高さまで育ってしまっているので、一見青々して綺麗に見えますが、その夏草の根の下にゴミの層があります。津波がきたのが3月11日、まだ雪の降るような寒い時期だったため、その頃はまだ夏草は生えていなかったんですね。しかしこの夏草はたくましくゴミや瓦礫をつきぬいて育ってしまっているので、この夏草処理がけっこう大変です。場所によってはヘドロの臭気も強く、背伸びして新鮮な空気を求めたくなるようなところもあります。グループごとに上流から15メートルずつくらいに範囲を決めて右岸から左岸にむかってゴミを集めます。まず集めるのはビニール、プラスティック類、金属も必ずピックアップする必要があります。そして木材は塗料が塗ってあるものやヘドロをかぶってしまっているものは拾う必要があります。そして建築材には釘が刺さっているのでそれを抜く・・・(これがけっこう大変でした)。拾得物(とくに写真)は必ずボラセンに届けること、ただ顔がはっきりしない写真はゴミとして処理。そして木材で塗料もなく、自然に帰ると思われるものはとくに拾う必要はないそうです。また家電や車のバッテリーなどは有害物質があるので、気をつけて拾う必要があります。こんなことに留意しながら作業を続けます。

大槌町 4

 オリエンテーションをまずします。班分けは陸前高田のときと同様にバスの中で行われていますが、ここで全員の顔合わせもします。男女比も年齢もまんべんなく振り分けられるようです。ボラセンから黒服で現れたボランティア指導員の看護師さん。歯切れよく「これはダメ、あれは危ない、これはOK」と指示していきます。(要点がはっきりしていて、訳すのが楽でした・・・)マットから一言"Is she a commander?"でも重要なことははっきりいってもらうのがありがたいですね。おかげさまでMs Commanderから手厚い看護を受けることはありませんでした・・・

大槌町 3

 バスは町の中に着きました。ここで降りて各自準備に入ります。男性は全員自発的に外へ・・・そうそう、女性のためにバスは更衣室になります。被災地では着替えの為の部屋などは用意されていませんので、みんなで協力する必要があるのです。大槌町はトイレもボラセンの一箇所だけでしたので、ここもレディーファースト!男性はまあ、最悪なんとかなるかな・・・でも場所はわきまえましょう。

大槌町 2

 大槌町ボランティアセンターです。ここで道具なども貸し出してくれます。ただこの日で約300名ものボランティアが町に来ているので、やはり自分たちの道具は自分たちで用意のスタンスは重要です。とくに足回りは確実に自分の体にあったものなのでなくては大変です。アメリカでは見つけられなかったのですが、「踏み抜き防止機能付き安全長靴」が一番使い勝手が良いようです。私は工場でよく使われる安全靴を履いていましたが、防水機能があったらよかったです。作業中にやはり釘の踏み抜きというのは日常茶飯事であるようで、かくいう私も作業のあと靴を見てみたら、錆びた釘がぐっさりささっていましたよ!気が付かないうちにやはり踏み抜いているんですね・・・厚底なので大事にはいたりませんでした。

大槌町 1

 大槌川の土手には麻袋の山があります。これはすべて人の手で集めた瓦礫などのゴミです。川で拾ったゴミは袋に入れて、重機で運び出すことのできる土手上まで人力で運びだします。

大槌町へ到着

 バスが大きく左に曲がると、そこが大槌町です。大槌川は夏草に覆われていました。

釜石 4

 釜石の町を過ぎていくにしたがい、ちょっとした入り江状になっている場所にはたくさんの瓦礫がまだ手付かずの状態になっているようです。船、冷蔵庫、まだまだたくさんの家庭用品が見えます。

釜石 3

 海沿いに出ました。すでに瓦礫の大半は撤去されているようでしたが、そこには陸前高田と同様に荒涼とした土地が広がっていました。
 バスは海岸線を北に向かってすすんでいきます。

釜石 2

 いきなり瓦礫がでてきました。ちょうど道路の標識で「津波浸水想定区域」とあった前後でした。重機でたくさんの瓦礫が積み上げられ、ダンプで運びこまれていました。

釜石

 大槌町へ行く途中、釜石市を通りました。釜石といえば、製鉄の街。大きな工場が煙をあげて操業をしていました。山から峠を下ってきたときの街並みはそれほど大きな影響はないように見えました。工場も普通どおりに動いているように見えるし、ここらへんはそれほど影響がなかったように見えました。しかし、ちょうど製鉄工場の建物の端にバスがさしかかったら・・・

2011年8月18日木曜日

大槌町へ

 ボランティア2日目、3日目は岩手県大槌町の鮭再生プロジェクトです。大槌町も今回大きな被害がありました。とくに鮭ののぼる綺麗な大槌川などの河川に津波がたくさんの瓦礫やヘドロを運んできたため、生態系が大きく変わってしまい、鮭がもどれなくなってしまう恐れがあるのです。ただこの河川に入り込んだ瓦礫やヘドロの撤去は容易ではないのです。重機などで河川を浚渫してしまうと、生態系がだいなしになってしまい、その再生は不可能とまでいわれています。つまりはそのひとつひとつの瓦礫を人力で撤去し、ヘドロを搔きだす必要があるのです。

盛岡冷麺

 すべてのあまたある日本の麺の中で王者かもしれない・・・それが盛岡冷麺。韓国の冷麺ともちがうこの太めの麺となぜだかすいかが入っている。しかし、旨い、うまい、ウンマイ!並んでも食べる価値あり!毎日でも食べたい、盛岡冷麺でした。
 今回お邪魔したのは「ぴょんぴょん舎」さん。週末はけっこう並んでいますので、時間に余裕をみるといいです。

ぴょんぴょん舎(盛岡駅前店)
住所: 〒020-0142 盛岡市盛岡駅前通9-3
TEL : 019-606-1067
FAX : 019-606-1065
営業時間: 11:00~24:00(ラストオーダー23:00)

2011年8月11日木曜日

陸前高田 その11

佐藤さん!いつまでもお元気で!そしてがんばって復興していきましょう!

陸前高田 その10

佐藤さんは仰いました。
「いろんな方が私に津波がきた瞬間のことをお尋ねになります。でも私が覚えているのは本当にわずかなことだけです。大地震がきて、これはまずい、はやくあの集落にいる年寄りを助けなければってことです。大津波警報が出されて、とにかくこの場所に急いで勤め先からもどってきました。歩けば3歩で疲れてしまう心臓の悪い年寄りを高台に押し上げるように避難をさせて、やっと安全な場所に避難させられたと息をついた瞬間、津波がすべてを押し流していきました。それしか覚えていないんです。でもあとあと考えてみると、私がいまここにいて皆さんにこんなことをお話できるのも、きっと私はあの時、年寄りを助けたから助けられたんじゃないかってことです。つまりはだれかを助ければ、だれかに助けられるっていうことです。皆さんは今日、私たちを助けに来てくれました。だからきっと将来だれかに助けられるはずです。ありがとうございました!」

陸前高田 その9

線路はそこで切り取られていました。津波で完全に流されてしまったとのことでした。陸前高田の綺麗な海岸線を疾走するJR大船渡線の復旧のめどはたっていません。海の向こうの風景は昔と変わらないといいます。いままで何人の人がこの風景を見たことでしょう。また逆に誰がこの山側の風景を予想したでしょう。なんとなくその切り取られた線路のあとにボランティアの人たちが集まってしまいました。

陸前高田 その8

そこに生活がありました。そこに家族がありました。そして命がありました。重機のうなる音しかしないそんな昼下がりでした。ただひたすらに土砂を搔いて出てくるのは食器の数々。そこにはきっと台所があったんだろうな。あったかいご飯があったんだろうな。そして家族の団欒があったんだろうな。粉々になってしまった食器もあれば、まだしっかり形をもったものもあります。立派なTsunami Survivorであり、はたまたVictimなのかもしれません。でも大丈夫、きっとまたみんなで美味しい食卓を囲めるようになります!JR大船渡線が通っていた土手から湾を望みつ、祈りを捧げます。

陸前高田 その7

車が一台山肌に埋まっているように放置されていました。話によると車がここまで流されたということらしいです。この写真を撮ったところから海を見ると、佐藤さんのお宅のはるか向こうに海が見えます、つまりはこの辺りまで水が上がってきたことを意味します。高低差はゆうに20メートルはあるでしょうか?大津波から4ヶ月たった時点の写真になります。すでに盛夏を迎え、蝉時雨も賑やかに夏草もするどくなっていましたが、大津波の爪あとの深さを実感しました。

陸前高田へ その6

この日の作業地はJR大船渡線の沿線の佐藤さんの住宅地。佐藤さんご本人から説明をうけて、ゴミの仕分けの仕方、注意点などを確認します。作業は午前10時から午後2時までで、途中お昼の休憩を1時間ほどとります。大きな瓦礫などは重機ですでに片付けられているので、のこりのゴミの中から、拾得物などを選り分けるのがメインの作業になりました。拾得物は金銭などの貴重品はもちろんですが、とくに写真やネガなどの思い出も重要な拾得物として集めます。佐藤さん地は海岸線から100メートルほどのやや高台にありました。2枚目の写真では左側にその海岸線が見え、右側は丘陵地帯になるのですが、左側(海の方向)に鉄骨が曲がっているのがわかります。これは大津波が佐藤さんの集落を襲ったあと、丘陵地にぶつかって巻波となり丘側から家屋を襲ったのがわかります。

陸前高田へ その5

約20分ほどの間、バスは陸前高田市の沿海部を走りました。「おおきな瓦礫はほとんど撤去されています」とのリーダーの説明でしたが、その光景は想像を絶するものでした。5階だてでも4階までの部屋の窓がパンチアウトされている建物。積み上げられためちゃめちゃになった乗用車やバス。それが沿海部のすべての地域に広がっているのです。「なぜこんな災害を神様は起こしたのだろう・・」そう考えてしまう瞬間でした。



陸前高田へ その4



・・・がガラリと変わります。いきなりそこには強烈な被災地の風景が飛び込んできました。

陸前高田へ その3


ドライブインを出て、途中、陸前高田VCにとまって、リーダーをピックアップしました。プレハブのVCには多くの支援物資が集まっていました。この時点でまだ回りはのどかな山村の風景です。ところが3分もしないうちに風景が・・・

陸前高田へ その2


 バスは2度目の休憩で陸前高田市へと峠を下る途中のドライブインへとまります。ここでリーダーの引率ガイドの方がこの先にある陸前高田ボランティアセンター(陸前高田VC)へとその日の作業内容に関して指示を受けに行きます。その間に最後の御手洗い、水などの必携品の準備を完了させます。このボラバスは水は十分なほど用意してあるとの事でしたが、やはりボランティアの心得として現地で必要なものは事前準備が鉄則とのことでしたので、私も水を2本買い増しました。ここでボランティアの班分けをします。班長一人がリーダーから選ばれ、その下に7人から9人くらいのメンバーが振り分けられます。私たち3人は同じ班になりました。メンバーは岩手県、青森県、横浜市など全国津々浦々から来ているようでした。
 このドライブインの辺りの河川は鮎がたくさんとれるようで、駐車場にはこいのぼりならぬ「あゆのぼり」が空を泳いでいました。

陸前高田へ


 通称、ボラバスという盛岡駅から仕立てられたボランティア派遣用のバスに乗り込み、東日本大震災の被災地へボランティアへと向かいました。ボラバスは地方自治体の主催で運行されているケースが多いようです。朝6時半盛岡駅マリオン集合で陸前高田までは約3時間の行程です。途中、ドライブインで2回ほど休憩をいれますので、それまではバスの中でその日のボランティアの人たちと歓談しながら楽しめます。ちょっとした遠足気分でいけます。でも参加者はけっこうボランティアの兵が多く、「今回で20回目です!」とか「解体のプロです!なんでも聞いてください!」みたいな心強い人も多いです。もちろんわれわれのような「ビギナー」もいます。でもそんなボランティアビギナーでも大丈夫です。みんな親切にいろいろ状況を教えてくれます。言葉の問題は少し心配しましたが、こちらから誠意を持っていけば、ちゃんと通じます!
 途中、遠野のドライブインで休憩をとり、その前にめがね橋という橋がかかっていました。

2011年8月5日金曜日

じゃじゃ麺

 じゃあじゃあ麺ではなく、じゃじゃ麺だそうです。うどんの上にきゅうりと特製みそだれをのせて、かきまぜていただきます。うどんは茹で上げをそのままか、夏場は冷たくしていただいても美味しいです。盛岡の三大麺のひとつですね。さっぱりして美味しいのでどんどん食べてしまいますが、たらいあげてはいけません。店に人からはうどんを一本くらい残してくださいと言われて、そのとおりに・・・

何がつぎに待ち構えているか・・・

 机にある生卵を割って、かきまぜてを店員に渡します。すると・・・・「チータンタン(かき玉スープ)」
をつくってくれます。これがまた一杯で二度美味しいお楽しみです。
 今回は盛岡駅前のHot JaJaさんに行きました。ここのイチオシは特製の辛い味だそうで、夏は辛いたれですっきり、しゃっきりするのもいいかもしれません。
盛岡じゃじゃ麺 HOT JaJa
〒020-0034
盛岡市盛岡駅前通9-5佐川ビル1階
TEL:019-606-1068/Fax:019-606-1065
年中無休10:00~24:00





さんさ祭り

北上川の土手で地元専門学校のグループの方々が8月1日から8月4日まで盛岡で行われる夏祭り、「さんさ祭り」の練習をしていました。そこにノコノコといったら、みんな大歓迎してくれました。ことしのさんさ祭りは震災のこともあり、みんなを笑いでいっぱいにしたいとのこと。みんな元気にがんばってね!

ナンパされました。

今回の旅友のブリとマットはどこでも人気者!盛岡駅近くの小学校を通ったら、子供が集まる、集まる!そしてびっくりなのは、みんな一生懸命英語で話しかけてきます。小学校でも英語を勉強するようになったようで、Hi, How are you?くらいはみんな知ってるんですよ。ブリとマットも日本語勉強中のため良いConversation Partnerになってくれました。

盛岡散策!


盛岡について、社会福祉協議会で明日からのボランティア保険に加入しました。ボランティアに参加するひとは必須の保険です。外国人でも日本人と同様に加入できます。ここで保険のカードをもらうのですが、このカードをボランティアに参加するときに提示を求められることがありますので、常に財布にいれておく必要があります。盛岡駅から社会福祉協議会まではタクシーで10分ほどでした。保険の加入を済ませたあと、タクシーをもう一度呼ぼうとしたら、協議会の方が歩いていったらどうです?いろいろ観光もできますよ!ってことで歩いて帰ることにしました。途中立ち寄ったのが盛岡城址公園。今回道中を共にしたブリちゃんは城跡を見るなり、ロッククライミングが得意!と言い出し、登ってしまう始末・・・・だれも来なかったのでよかった・・・

盛岡到着!

盛岡に到着しました。ここで「はやて」は新青森方面へ、「こまち」は秋田方面へと切り離されます。日本の誇る、ミに新幹線線技術!連結切り離しの瞬間はいつも人が集まります。

仙台

仙台につきました。ここまでは新幹線の本数も多く、利用客も多いそうです。車窓から目だった、震災のあとは見えませんでした。復興はかなり進んでいるようです。がんばれ東北!

牛タン弁当

車内販売がやってきた。まだ昼ごはんを買っていませんでした。そこで目に入ったのが、仙台名物の牛タン弁当。しかもお燗機能付きのスグレものです。ひとつ1000円は高いか、安いかは買った人の考え方次第!牛タン定食を仙台で食べると普通、もうちょっとするかな?
ドンとテーブルにおいて、紐はほどかずに、お燗機能を始動させるための紐を「えいや!」とひっぱります。すると、ジワジワ熱くなってきて、やがて蒸気まででてきます。
「おお、スゲエ・・・」
と見ているとやがて蒸気がおさまってきて、食べごろになります。弁当をしばってある
紐をほどいて、いざトツゲキ!ホカホカと湯気を立てながら、牛タンがよだれをたらしながら、私の攻撃を待ち構えています。ほどよい塩味とスパイスが効いていて、牛タンは旨かったです。あっというまに攻撃が終了してしまうのがちょっと残念。物足りない人は2個買っておくのがいいかもしれません。


いざ、東北へ!

JR East Pass Flex 4 daysをつかって、いざ東北へ!このRegional Passと呼ばれるレールパスは普通のJR Passと違って、JR東日本でのみ使えます。JR東日本管轄の新幹線(東北、秋田、山形、上越、長野)は指定席利用でき、今年3月から走り出した東北新幹線「はやぶさ」にも利用できます。このFlex 4がつかい易く、これは30日間のうちに好きな4日を選んで使えるというもので、これで大人20,000JPY、25歳以下であれば16,000JPYのYouth割引もあります。本当は「はやぶさ」に乗りたかったけれど、あいにく完全に満席ということで、「はやて・こまち」に乗ることにしました。目的地は岩手県最大の都市、盛岡。東京から約3時間強で着きます。